≪ 委員長あいさつ 全文 ≫

 第28回国労東日本本部大会にご参加の代議員、各級機関役員、会社別及び職能別協議会、そして全ての組合員の皆さん大変ご苦労様です。また、大変お忙しい折にも関わらず、私どもの大会に駆けつけて下さいましたご来賓の皆様、更には日頃より様々な視点からのご教示を頂いております弁護団の福田先生、海渡先生、退職者の会の諸先輩方、大変ありがとうございます。国労東日本本部執行委員会を代表してご挨拶申し上げます。

 さて、2014年7月1日は、私たちの後世を生きる人々にとって一体どのように位置づけられるのか、私は不安でなりません。このような思いに掻き立てられているのは何も私に限ったことではないと思っています。
 安倍首相が言う戦後レジームからの脱却が目指す「美しい国・強い国日本」とは一体何を指すのでしょうか。
 数年前、埼玉の北部で町工場を営んできた母方の伯父が90年を超える人生を終えました。母が兄妹の一番下ということもあり、伯父は私を大変可愛がってくれたことを記憶しています。そんないつも陽気で楽しい伯父から晩年大変ショッキングな話を聞かされることになりました。伯父は工業学校を出て旧陸軍の工兵として中国に派兵されていました。資材等を運搬するための牛馬は現地での『徴用という略奪』が通常だったそうです。伯父が農家から牛を略奪しようとしたとき、中国人の老婆が地面に跪き、大切な農耕用の牛の略奪に対して懇願したそうです。躊躇している伯父に対して上官の命令は「殺せ」の一言だったそうです。それでも躊躇する伯父に対して上官は「命に背くのか」と叱責し、伯父は銃剣で老婆の胸元を突き刺したそうです。戦後復員した伯父は、晩年まで老婆の胸に食い込む銃剣と肋骨に絡み中々抜けない銃剣の感触、噴きだす血潮の光景が夢に出てこない日は無かったと告げました。私に語った伯父からの最後の一言は「戦争ほど馬鹿なことはない」でした。
 戦争で犠牲となった人や、家族の悲惨さや凄惨さは言うに及びませんが、戦争を生き残った人の苦悩も計り知れないものがあります。今、戦争を実体験した人の多くが人生を終えようとし、また、多くが体験を語らずにいます。
 日本は戦後69年を迎えようとしています。この69年間日本人は「戦争」で人を殺したことも殺されたこともありません。このことの大きな礎となってきたのが、日本が世界に誇れる「第9条」に象徴される平和憲法の崇高な理念です。
 昨年国会において「特定秘密保護法」が、圧倒的な審議不足との批判をよそに強行可決され、武器輸出禁止の規制緩和、そして世界に誇れる平和国家日本の象徴である憲法第9条を解釈によって憲法が定める規範・制約を変えることによって「集団的自衛権の行使」が可能であるとし、まさに我が国を戦争のできる国から、さらに戦争をする国へと変質させようとしています。
 憲法は言うまでもなく、時の権力者の暴発・暴動を抑止するという立憲主義の根幹であり、憲法は私たち国民が守るものでなく権力者に守らせるものです。
 しかし今、日本の立憲主義が根底から崩されようとしているというより、安倍自公政権の暴走により、崩壊寸前という領域に入ってしまっています。
 過日、地方で長年平和運動に関わってこられた方と話をする機会がありました。彼は、「私たちの世代はいつか総括を求められます!あの時あなたは何をしていたのですか?と、今こそやれることは何でもやり、悔いを残してはいけない」と言っておられました。組織や枠などというものではなく、この時代を生きる一人の人間としての奮起が求められています。
 私たち国労も戦後間もない1946年「二度と戦争協力はしない」との反省の上に立ち、結成以来一貫して反戦運動を取り組んできた歴史からも極右化する安倍政権の暴走にストップをかけなくてはなりません。
 安倍政権は、長引く円高・株安不況、デフレ不況からの脱却と2011年3月11日に発生した東日本大震災からの早期復旧・復興を政治公約に掲げ、3年余にわたった民主党政権から「経済再生」、「日本を取り戻す」を前面に掲げて政権奪取を果たしましたが、今、安倍政権の本質が次々に明らかになっています。
 安倍自公政権が突き進む危険な動向は、更には原発政策にも大きく現れています。東京電力福島第一原子力発電所事故は、当初津波被害が最大の要因とされていましたが、巨大地震の揺れで、既に全電源がストップしていたことが明らかにされました。
 原子力発電所の海外輸出を推進する「勢力」は、先の事故で崩壊した「安全神話」を、原子力規制委員会を盾に復活させようと躍起になっています。5月21日福井地裁は関西電力大飯原発の運転差し止め請求を認める画期的な判決を下しました。
 こうした状況にもかかわらず、原子力規制委員会は7月16日九州電力川内原子力発電所の1・2号機が全国の原発で初めて「新規性基準適合性審査」に合格の判断を示しました。地元の同意が再稼働への最大の条件とされていますが、疲弊した地方経済に対して、石原伸晃環境大臣が発した「最後は金目でしょ!」の言葉に象徴されるように、札束で顔をたたくようなものであり、このことは決して同意と言えたものではなく、安全がすべての基準でなくてはなりません。
 今、日本が採るべき方向性は原発の再稼働でもなく、海外輸出でもありません。戦火による世界で唯一の被爆国であり、また、世界中を震撼させた原発事故の当事国として、世界に先んじて根本的なエネルギー政策の転換が求められています。

 JR内における安全・安定輸送確立と、そのことを担保し得る技術力の維持・継承は、もはや抜き差しならない状況となっています。
 2月23日、川崎駅で京浜東北線回送列車が軌陸車と衝突し脱線横転する大事故となりましたが、たまたま回送列車であったため、奇跡的に、乗務員2名の軽傷で済みましたが、回送列車でなかったならば大惨事になっていたことは論を待ちません。一昨年の石勝線における特急列車の車両火災事故以来相次ぐJR北海道の事故、重大トラブルや看過することが出来ないコンプライアンス違反に起因する重大な事象など安全の歯車が完全に狂っています。
 私たちはこうした危機的な状況を招いている主要因は、コストダウンを至上命題とする外注化施策に起因しているとの指摘をしてきました。また、同時に安易な外注化は技術力の維持・向上にも大きく影響を及ぼしていると指摘してきました。
 しかし議論を更に掘り下げると、こうした危機的状況を作り出しているのは現場力の低下に帰結することが見えてきます。国鉄からJRへと大きな変遷の中で職場は大きく変わりました。しかし変わらぬもの、いや変わってはならないものがあります。それは、人の命や財産を安全に安定的に目的地まで届けることです。
 今職場は、集団的労使関係から会社と一社員という個別的労使関係へと急速に歩みを進めています。言い換えれば労使が切磋琢磨していた時代から会社の方向性・指向性のみが職場の座標となっている傾向が、結果的に職場のまさに「現場力」を削いでいると考えます。
 私たち鉄道業で働く者の変わらぬ使命である「安全・安心」を求める取り組みは、現場力のアップであり、職場の中心軸に常に「仕事」を据えることであり、そのことによって誰が仕事を大切にし、誰が仕事を軽んじているのかが鮮明になります。私たち国労が職場の中心に座るとは正しくこのことであり、国鉄世代は全て仕事ができるという幻想は払拭していかなくてはなりません。

 組織強化・拡大と国労運動の継承は、私たちが置かれている実態や現状からも一刻の猶予もありません。
 とりわけ組織拡大の取り組みについては、分会をはじめとした各級機関、組合員の奮闘により、昨年の大会以降新規採用者の獲得も含めて○○名となっています。また、その取り組みと成果は各地方へと拡がり、新規組合員の獲得という具体的成果に至らずとも分会活動・職場活動に活性化をもたらしている事も注視すべき点であると言えます。
 組織拡大の取り組みは、組合員一人ひとりの踏ん張りと分会の取り組みが現状を作り上げてきました。私たちはこうした現状を踏まえ組織としての戦略と方向性を導き出していく必要性が求められています。
 国鉄分割民営化から27年が経過し、JR発足28年目を迎えています。国鉄という職域からJR職域は大きく様変わりしています。とりわけJR東日本においては、鉄道業・運輸業を主体としてという点はこれまでと変わりはありませんが、現状や会社が描く将来像については、これまでとは全く違ったものが導き出されようとしています。そうした上に立って、私たち国労が70年近くに及ぶその運動をJR職域に移行・継承させるのか、ということが私たちにとっての大きな課題であることは論を待ちません。即ち、JR本体のみの労働組合との位置づけなのか、JR職域全体を網羅する労働組合を目指すのか、両者には大きな相違があります。
 私たちは国鉄分割民営化の負の遺産と言われた「1047名JR不採用問題」を多くの仲間の支えによって解決してきました。そうした歴史と経過をたどった国労が導き出す答えは、JR職域を代表する労働組合組織を目指すことは至極当然のことであり、私たちの戦線復帰を願う仲間たちへの国鉄労働組合としての信義を発揮すべき時です。
 私たちは、進むべき道を自らが導き出し、成すべきことを今この時にしっかり成し遂げようではありませんか。
 国労東日本本部がその先頭に立って奮闘することを申し述べ、また、第28回定期大会がその闘いの起点となることを訴えて執行委員会を代表しての挨拶とさせていただきます。